カテゴリー「天使に出逢うまで/妊娠・出産」の28件の記事

2007年10月 4日

天使の名前~もう一つの由来~

良い名前をつけたかった。

かわいい名前をつけたかった。
誰からも愛される名前をつけたかった。
良い縁に恵まれる名前をつけたかった。
幸せを掴める名前をつけたかった。

字画で決まる…なんて、そんな訳はないかもしれない。
でも、『良い』と定義されるものがあるのなら。
そんなことが幸せに近づくと言うのなら。

私のいろんな想いの詰まった天使の名前。

でも、もう一つ。
天使の名前を決めた理由がある。


それは、『彼』が天使の『父親』であるという証。


二人の間に産まれてくる天使。
彼には名前を一緒に考えて欲しかった。

入籍のこと、お金のこと、仕事のこと、生活のこと。
天使を迎え入れる準備が何一つできてない中、
せめて『父親』として彼にしてもらいたいこと。
私にとってはその一つが『名前』だった。
名前字典を彼の家に持って行ってみたりした。

だけど、彼はパラパラとめくると、その辺にポイッと置いてしまった。
『名前』に関してでさえ、彼が協力的で無いように思えてとても悲しかった。

ところが、ある日、彼の家に行くと色んな名前がノートに書かれてあった。
彼なりに名前を考えてみたらしい。
でも、正直、私がピンと来るものは無かった。
それに、もっともっといっぱい考えて欲しかった。

そんななか、いつもの名前字典をめくっていると、
素敵な字が私の目に止まった。

字の由来、意味を調べ、画数を数え、当てはめてみた。
私の天使への想いをそのまま文字にしたかのような字だった。
字画もとても良い。

書いてみた。
『咲来』
何となくきれい。

『この子の名前はこれだ!』と思った。
この名前は、私の考える全ての条件に、ぴったりだったから。


この時はもう、薄っすらと彼と別れることも考えていた私。

もしも、将来『父親』が居ないなんてことになっても、
この子の名前に、『父親』の足跡を残しておきたかった。

『天使の名前はパパも一緒に考えたんだよ』と伝えてあげられる。
私には、そのことがとても大切なことだった。

色んなことがあって別れはしたけれど、決して父親から望まれてなかったわけでは無いと伝えたい。

だから天使の名前は、彼がノートに書いていた中から決めたかった。
それが、『天使の名付け』のために必要な最後の条件。

天使にはちゃんと『父親』が居たんだという証。
上手く伝え合えなかっただけで、天使に逢う日をちゃんと二人で待っていたんだという証。

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2007年9月 8日

ありがと。

私の周りにはいつも私を助けてくれる人がいる。
母を始めとする、家族であり、もしかすると家族より私を知ってるかもしれない友達。

暗闇だと思っていたのは自分だけで、ホントはいつも、小さな光を持って出口で待っててくれてた。

そのことに気付かせてくれた事にとても感謝してる。


こう言うと、母はいつも呆れて笑うけど、私はこんな自分が大好きだ。

だけど、私が私を好きでいることが、私を産んでくれた母への感謝であり、支えてくれる友達への感謝であり、かわいい天使への愛の証だ!


きっと、私がこの子を選び、この子が私を選んだ。
女が子供を産むってことは、「奇跡の出逢い」に他ならない…と思う。

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別れ

別れのメールを送ってからも、彼からはメールがきていた。

私も少しの間は自分の想いを綴り返信した。
何故、別れると決めたのか、分かっていて欲しかったから。
だけど、同じ事の繰り返しだった。
やがて彼は慌てて仕事に就いたけれど、私にとっては全てが遅かった。

それに、彼は何も変わってなかった。
過去のケンカ、1度目の浮気、私に手を挙げたとき…。
言ってることは、その頃と同じだった。

少しして、郵便物が届いた。
彼からだった。
少しのお金と、私と天使への送り物だった。

天使には、小さなオモチャとベビー服。
そして私には指輪が送られてきた。
手紙が入っていた。
読むと、彼の想いが切々と書かれていた。

母に、何が入っていたのかと聞かれ、指輪と答えると、
「はめてみた??」と聞かれたが、
「そんなわけないじゃん」と答え、さっさと全部を箱に戻し、残っていた彼の荷物と一緒に、彼の祖母の家へと送り返した。

ほんとは、手紙を読みながら、左手の薬指にはめてみてた…。
サイズはピッタリだった。

だけど、彼からの手紙を何度読み返しても、綴られている言葉に涙も出なかった。
その時、私の心はやっと彼から離れられたと思った。

そして、私はケイタイ番号を変えた。


1年後・・・・・。
天使の1歳の誕生日、彼から郵便物が届いたが、今度は開けずに送り返した。
それからは彼からの連絡も郵便物も、もう来なくなった。

その頃、彼との共通の友達からは
「彼、俺がバカだったって泣いてたよ。お互いが必要なら、これからでも、もう一回うまく行けば良いと思う。」
と聞かされた。

もう二度と、私の心が動く事は無かった。

多分、彼には私じゃなくて、私には彼じゃなかっただけのこと。
それは出逢ったタイミングだったのかもしれない。
ただ早すぎただけなのかもしれない。

もっと違う二人だったら、彼は殴らなかったのかもしれない。
私も、もっと可愛くなれてたのかもしれない。

それでも、それも全て含めて「縁」であり「運命」なんだと私は思う。

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別れの決意

1週間後、退院した私は実家に帰ったが、彼は1度も家に来る事は無かった。
…というよりも来れなかった。
仕事も見つからず、妊娠から出産までの10ヶ月間、「父親」だと堂々と言えるようなことを何もしていなかったからだった。

私と彼はメールで連絡を取り合った。
私の中には少しの迷いがあった。
このまま彼と別れるべきなのか、やり直すべきなのか…。

私の中では病院で怒った彼を見た時から彼への気持ちは変わり始めていた。
命の誕生を目の前にしても、尚、変わらなかった彼を見て、私の最後の賭けは終わった。

そして天使と二人、幸せな時間を過ごすに連れ、私は彼を必要としなくなった。

それでも、忘れない程度にメールに天使の写真を付けて送っていたのは、まだ、この子から「父親」の存在を奪って良いのかどうか迷っていたからだった。

ある日、母は何かにすがるかのように、私をお寺に連れて行った。
そこは、よく当ると知人から聞いていた、占いをしてくれるお寺だった。

産まれて1ヶ月の天使を連れて、母と私は観てもらった。

「この子連れて、この男と結婚すれば二人は不幸になる。」と言われた。
そして、
「あんたが不幸になるのは構わない。それは自分で選んだことだから。
だけど、その子が不幸になるのは、不本意だ。もしも、あんたがその男の所に行くのなら、子供は置いていきなさい。施設にでも預けて…。」
と言った。

帰りながら、母は言った。
「貴女、今、幸せでしょ?あんな想いをしてまで望んで、望んで産んだ子供の世話をして、
腹が立つこともない、ケンカする相手もいない、ただ子供のことだけを考えていれば良い。妊娠中の出来事がウソのような穏やかな毎日。…これで良いんじゃない??」

母の言う通りだった。
私は毎日、心静かに穏やかな毎日を送っていた。
「幸せ」というものを初めて実感したようにも思えた。

彼とやり直せば、子供と過ごすうちに、もしかしたら変わるかもしれない。
だけど、変わらないかもしれない。
もしケンカになれば、物が飛んでくれば、手を挙げられたら、今度からは私は1人じゃない。
何がどうなって子供が犠牲になるか分からない。
考えるまでもなく、答えは決まっていた。
そんな「いちかばちか」の「…かもしれない」になんて賭けれるワケが無い。


私には少なからず「彼への想い」も無いわけではなかった。
だけど、「好き」なんて気持ちに「永遠」なんてない。
いつか恋愛感情が無くなったとき、彼との間に人としての信頼や愛情が残るだろうか…。

「好き」でなくなったときに、なにが残るのか。私にとってはそれが重要だった。
例えまた浮気をして、旦那としては「×」でも子供の父親として、「○」であれば、それはそれでも良いのだ。
でも、それも、そんな小さな可能性には賭けられない。


私の勝手な、ホントに身勝手な決断なのかもしれない。
いつか子供に責められる日が来るのかもしれない。
それでも、構わない。

私は彼に別れのメールを送り、認知もしてもらわないことに決めた。

いつか、天使が大人になった時、籍に名前があるだけで顔も見たことの無い父親の存在が人生の障害になることだってあるからだ。

どちらを選ぶにせよ、「普通」じゃないことは確かであり、リスクはあるだろう。

だけど、天使にとっては、しっかりと自分の力で立ってさえいれば、父親の存在が無いことの方が、ずっとリスクは小さくてすむ、と考えたからだ。






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天使との出逢い・・・。

それから1ヶ月ほど、予定日より2日遅れて陣痛がやってきた。

私の最後の賭け…。
それは、彼に出産に立ち会ってもらうことだった。

これで、変わらなければ、彼との先はない。
私は密かにそう決めていた。

朝の八時頃、陣痛が来ると、病院に行った。
少しずつ間隔が短くなり、夜になる頃、いよいよ分娩室に入った。
後から彼も入ってきた。

22:18だった。
私と天使が出逢い、彼と天使が出逢った。
彼がへその緒を切ると、先生は横になる私の胸に天使をのせた。

涙なんて出なかった。
無事に産まれてきてくれたことを静かに噛みしめた。
私は、ただ、ただこの時を待っていた。

私は母になり、天使と一緒に1週間の病院生活。

産後、40℃近い熱が5日程続いた。
体は疲れきっていてだるかった。

そんな私をよそに、彼は毎日病院に泊まった。
嬉しくなんか無かった。恥ずかしかった。
だって、普通の父親なら、1週間毎日、朝から晩まで病院になんて居ない。
仕事してるから…。

「お前は頑張った。今度は俺が頑張るから。」
なんて言いながら、彼はただ毎日、病院で就職情報誌を開いていた。
そして、時には自分の友達を連れてきた。

病室の名札は、私の名字に私の名前。
そんなところに、彼の母は何のためらいも無く、自分の親戚を連れてきて、私を紹介し、子供を見せた。

彼の姓に天使の名前をくっつけて、フルネームで子供を紹介した。

私は腹立たしかった。

妊娠が分かってから今日まで、結局、私は実家に住み、実家のお世話になりながら、出産費用も、子供に必要な生活費も、全て私がまかなった。銀行から借り、母が払ってくれていた国保からの出産手当を使って…。

出生届を出す日が来た。
用紙には私の名前と、私の姓のついた天使の名前。
結局、未婚のままの出産となったため、父親の欄は空欄のまま。

私は、その用紙をあえて、彼に見せた。
「私が言ってたのはこういうことだよ。こうなる前になんとかして欲しかった。」
彼は怒った。
「わざわざ、そんなもの見せてどういうつもりだ?!今から頑張るって言ってる時に!」
病院の壁を殴り、ケイタイを床に叩きつけた。

仕方無かった。
今から頑張っても、遅いんだ。
頑張って欲しかったのは今までだった。
それが、今までの彼と私が作ってきた現実だった。


入院中の1週間、彼は天使を抱っこしてミルクを飲ませた。
オムツも換えた。

それが、最初で最後の天使と父親の時間になった。





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名前

ずっと考えてた子供の名前。

私の付けたかった名前は、どうしても字画が合わなかった。

皆は、ある日突然ピンと来るよ。なんて言ってたけど、毎日毎日、名前字典をめくっても、私にはどれも全然ピンと来なかった。

字画で運命が決まるなんて、そんなの分からない。
だけど、赤ちゃんは毎日、私の悲しい想いの中で育ってきたんだ。
決して幸せ溢れる中での出産ではない。
せめて、名前ぐらいは、それに負けないものにしたかった。

名前で幸せが決まるというのなら、世界一幸せになれる名前を付けてあげたかった。



そんなある日、いつものように、本をめくっていたら、いつもは目に入らなかった字が、飛び込んできた。

「咲」という字だった。
由来を見ると、「わらう」と書いてあった。
私には、その字がとてもきれいな字に見えた。
そして幸せな笑顔が見えた気がした。

「この字を使おう!」

そう決めて更にページをめくると、今度は
「来」という字が目に入った。
由来を見ると、「まねく」と書いてあった。

私はこの二つを使って、子供の名前を決めた。
読み方は、いつか、彼がノートに書いてあった名前の一つから当てはめた。

不思議と、今までどれも、上手く当てはまらなかったのに、この名前だけは、彼の姓にも、私の姓にも良い字画だった。

特に私の姓に当てはめると、どこから見ても完璧な最高に良い字画だった。

こうして、もうすぐ産まれる天使の名前が決まった。

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出産費用

予定日を一ヶ月後に控えても、まだ、彼は仕事に就かず、相変わらず「やりたい仕事」を探しつづけていた。
仕事に就いてないとうことは、国保にも社保にも入ってないということだった。
保険を払ってないということは、出産後に国からおりるはずの「出産手当」も無いということだった。

そうでなくても貯金は底をつき出産費用のめどは立ってなかった。

それを知った彼の母は、私と彼に言った。
「親戚の家に言って事情を説明してお金を借りに行きなさい」

私は戸惑った。
彼の母の言う親戚とは、私達と同じ年頃の息子を自殺という残念な形で亡くしたばかりの家だった。

そして腹が立った。何で私が?
入籍もできず、母にも反対され、それでも、「やりたい仕事」を探し続けている彼のせいで??
言わば、まだ「他人」である、しかも49日なんて席で一度しか会ったことのない人に頭を下げる??
冗談じゃないと思った。

母に話すと、母も同じだった。
お金はこっちで何とかするからと言った。

私は自分の子供は自分で産みたかった。
1人ででも、親子の縁を切ってでも産むと言い切ったのに、妊娠中の生活は親の世話になり、私が泣いた分、親も泣いたはずだった。
だからこそ、「出産」という、自分に気持ちを押し通したこの一つだけは自分の力で頑張りたかった。

私は出産費用は自分の名義で銀行から借りることにした。

そして、私は最後の賭けをした。

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手紙

私はたびたび家を出た。
そんなことには誰も気付かなかった。
その度に帰るしかなかった。

消えてしまいたい、と車の前に出て行ったこともあった。
消えてしまいたい自分と、無事に赤ちゃんを産みたい自分、勇気のない自分が、心の中でいつも戦っていた。
逃げたいと、消えてしまいたいと思うたびに、結局何も出来ない自分に悔しさを感じていた。

そんなある日、いつものように重い気分で目が覚めた。
昼過ぎ母は久しぶりに私に話しかけてきた。
いつもと違う様子だった。

彼の話から、私の想い、母の想いを少しだけ話し合った。

話が終わると母が言った。
「実はね、手紙が来たの。言わないでと書いてあるから、聞いたことは内緒にしてね。
あんた、ホントに良い友達持ったわね。お母さんも嬉しい。」

それは、親友から母に宛てた手紙だった。

私が無事に出産できる事だけを考えてあげて欲しいというような手紙だった。

真っ暗な私の中に光が差した。
もうずっと、周りの全てが私を否定しているような気がしていた。
何度、誰かに助けて欲しいと思っただろう。

初めて、私は1人じゃないと感じることができた。

それからは、ギクシャクしながらも、母とは少しづつ良い関係に戻っていった。

予定日も近づいたある日、母が言った。

「子供が産まれたからと言って、彼がすぐに仕事を見つけるとは思えない。
もし仕事を見つけてきても最低3ヶ月、仕事を続けてからでないと入籍は認めない。
アンタは、ここまで来れば、もう子供を無事に産むことだけを考えなさい。
どうせ、籍はまだ入ってないんだから、彼とのことは産んでから考えたって遅くない。
かわいそうな妊娠生活だったね。毎日泣いて過ごして。本当なら名前を考えたり、赤ちゃんの物を準備したり、女にとって、一番幸せな時だったのにねぇ。」

話しながら涙が出た。

それからは、やっと、母と一緒に赤ちゃんの名前を考えたり、小物をそろえたり…。
出産の話をしたりできるようになっていった。

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重い心

少しだけ彼の態度は変わった。
仕事を探し始めた。
大きな荷物は持ってくれるようになった。
初めての診察以来、一緒に行くことのなかった病院にも一緒に来るようになった。

ある日彼の家に行くと、ノートにいくつかの名前が書かれてあった。
生まれてくる子供の名前だった。

私は、そんな彼を、もう一度母に認めてもらいたいと思った。
彼と母の間を行ったり来たりしながら、母には彼は頑張ってるよ、と伝え、彼には仕事さえ見つかって、無事に入籍できるようになれば母も認めてくれるようになると、背中を押しつづけた。

だけど、そんな私の態度が逆効果だったのか、母は、いつまでも仕事を選んでないで、バイトでも何でも良いから、とにかく稼げるようになる事だと言った。

確かにそうだった。
二人で貯めていた50万近くの出産費用は、彼が仕事を探してる間になくなっていた。

一方で彼は、ほんとにやりたい仕事じゃねければやるつもりは無いと言って、「やりたい仕事」をさがし続けた。
彼の母も彼と同じだった。

その頃には母は彼を認めない態度で、彼と彼の母も、私の母に壁を作っていた。
お互いがお互いを悪く言い合っていた。

家では、口を開けばケンカになり、私と母の会話はなくなっていた。

私はだんだん、疲れていった。

何故なんだろう・・・。
私は、ただ、無事に赤ちゃんを産みたいだけ。母親になりたかっただけ。
たった、この一つの命を守るために、せめて今だけでも良い。
お互いが上手くやろうとする気持ちが見たかった。
私の幸せは、母に祝福され、望まれながらこの子を産むこと。
この命の誕生を皆で待ちたいだけ。
笑顔で迎えたいだけ。

私は、この子にかわいそうなことをしてるんだろうか。
ただ、産みたいなんて、私のエゴなんだろうか。
毎日泣いて過ごす私の中で、この子は五体満足に無事産まれてきてくれるんだろうか。


そんな私の暗い気持ちをよそに赤ちゃんは、毎日元気にお腹を蹴った。
蹴られるたびに嬉しさと悲しさと、申し訳なさがこみ上げてきて涙が出た。

こんな悲しい家に産むなんて…。

ある夜、私はフラフラと家を出た。
どこに行くでもなく、ただ歩いた。

このまま私が帰らなくても、母はどうせ彼の所に行ってると思うだけ。
心配も探しもしないだろう。
彼は、連絡のつかない私に腹を立てるだろう。
私が居なくなって何日たてば、いがみ合ってた彼と母は協力して私を探し始めるんだろうか…。
このまま、消えてしまいたい、と思った。
だけど、行くあてなんてなかった。

たった一人相談していた親友の家は遠すぎた。
他の友達には何も話してなかった。

歩いているうちに、お腹が痛いくらいに張って来た。
いろんなことを考えた。
こうして歩いている間に赤ちゃんにもしものことがあったら…。
そう考えただけでも、その先の私の生きる価値はなかった。

結局、私は家に帰るしかなかった。


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2007年9月 7日

暗闇

私と母はこれからについて話していた。
母は怒っていた。
一つ隣の部屋では母親が居るのに、妊娠中の大きいお腹なのに、あれだけ、暴力はダメと念を押しておいたのに。

弟も怒っていた。
自分より力の弱いものに、まして妊娠中の女に手を挙げるなんて。

彼の母は私の顔を見るなり、深々と頭を下げて誤った。

少し遅れて彼が来た。
彼はうつむいたまま静かに椅子に腰をかけた。
母親に促されて初めて、頭を下げて誤った。

私は別れるつもりで話し合った。
だけど、迷いもあった。
私と母は、居ても辛いだけの父親なら、最初から居ない方が幸せだという事を充分分かっていた。
だけど、母にとって、私にとってどうか。。。という事よりも、何よりも産まれて来る子供にとってどうか。。。ということが重要だった。

もしかしたら子供が産まれたら変わるんじゃないかという、わずかな希望もあった。

お腹もここまで大きくなれば、後は無事に産まれてくることを待つだけ。
母も、簡単に別れろとは言えなかった。
「決める」ということは産まれてくる子供から「父親」という存在を奪うかどうか…ということだったからだ。

いろんな想いが交錯する中、彼と彼の母親はもう2度としないと涙を流して誤った。
彼の母は息子に幸せになって欲しい。ただそれだけだった。

彼の母親は、こんなにすれ違い、ケンカになる原因は彼の夜の仕事にある、と言い、
すぐに夜の仕事を辞めて、昼の仕事を探すということで話が終わった。
結局、また私は彼を許すことになった。

すっかり気を取り直した彼の母は、帰り際、私の顔を見て行った。
「コレぐらいのアザなら1週間後には化粧をすれば隠せるね。1週間後の親戚の49日には貴女も来なさい。皆に紹介するから。」

その言葉を聞いて、私も母も開いた口が塞がらなかった。
こんなにお腹が出るほど、日に日に赤ちゃんは育っているのに、まだ入籍もできず、まして自分の息子が殴った傷跡をかくしてまで、49日などと言う喪の席で紹介?!

こうして、「やり直す」という結論には至ったものの、私の家族と彼の家とは、もう埋まらない溝が出来た。

その後、1週間ほどは今まで通り私の実家で過ごした彼だったが、この出来事が彼の中でも尾を引き、私達はまた、些細なことが原因でケンカになり、それをきっかけに彼は、夜のうちに家を出て祖母の家に行った。

朝になって、彼が出て行ったことを知った母は、
「あれだけのことをしておいて、こちら側は充分歩み寄ったのに。非常識すぎる。もう2度と家には来させない。」
と、完全に私と彼の結婚を反対するようになってしまった。

私は、母に反対される中、彼の住む祖母の家と自分の家を行ったり来たりの生活が始まった。

そこから先は、暗闇だった。

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恐怖感

全てが上手く行かない日が続いた。
彼は一緒に住みながらも、私の家族と食卓を共にすることは数える程しかなかった。
母は気を遣い、私達と距離を置くようになっていた。

私は、何とか彼と母に上手くやってほしかった。

私の思う幸せとは、お互いの家族が認め合い、歩み寄る中で、祝福されて子供を産むことだった。

だけど、約束から1ヶ月が過ぎても2ヶ月が過ぎても夜の仕事は辞められず、私たちは入籍できないまま時間だけが過ぎていった。


いつもの様に朝方、仕事からの帰りに電話がかかった。
機嫌の悪い声だった。
「3万銀行からおろして用意しとけ。」
その時の私達にとって3万は重要だった。
それに、この1週間で2度目のお金だった。
理由を聞くと、どちらも賭けで負けたお金だった。

12万そこそこのバイト代で、生活を実家に頼りながら、出産費用と生まれてからの準備のために貯めていたお金だった。

親に対しても肩身の狭い気持ちで毎日過ごしていた私は、無償に腹が立ち、
「帰って来なくて良いから!!」
とだけ言い、電話を切った。

鍵を持ってるんだから帰って来ないはずが無い。
彼は帰ってくるなりスゴイ剣幕だった。
部屋の隅に追い詰められた私は、彼の振り上がった拳に目を閉じた。

痛みが走った。
しばらく動けなかった。
少しして我に返った私は自分の部屋を出た。
母や弟に気付かれるわけにもいかず、キッチンの片隅に座り込んでいると彼が追いかけてきた。

私にはもう、恐怖しかなかった。
頬っぺたはみるみる腫れていき、真っ青になった。

部屋の中には割れた電球が飛び散っていた。

ケンカしたことは分かっていた母と弟だったが、私は殴られた顔を隠していたため、外出する時にも二人は
「いつまでも泣いてないで仲直りしなさいね」
と言い、笑って私達を見送った。
彼も笑って家を出てきた。
私は下を向いたまま黙って彼の後ろをついて行った。

その日1日、彼は私を外に連れ回した。
私が家族と顔を合わさないようにするためだった。
外へ連れ出した所で、私を人目に触れさせるわけにも行かず、私は車の中に残されたまま、彼が行く先々で用事が終わるのをじっと待っていた。

腫れた私の顔を見るたび彼は申し訳なさそうな顔をした。
だけど、こうも言った。
「お前が俺を怒らすから悪いんだ。」

彼を許すとか許さないの問題じゃなかった。
悔しさと恐怖だった。

夜になり、彼がバイトに行った頃、1人になった私は、自分の部屋から弟に電話をかけた。
いつまでも黙っていたって、顔を見せれば殴られたことはすぐに分かる。
隠してはいられなかった。

私の電話で、慌てて部屋に飛び込んできた母と弟は驚きと怒りでいっぱいだった。

次の日、私の家族が知ったことを知ると、彼は祖母の家で1日を過ごし、家には帰って来なかった。

彼の母親と私の家族とで、話し合いをすることになった。

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2度目の浮気

私達の不安定さをよそに、お腹はどんどん大きくなっていき、胎動を感じるようになっていた。
味わったことのない不思議な感覚だった。
まだ鈍い動きで、たまに、うにうにと動くぐらいだったけど、初めての感覚に喜びと、更に深い愛しさを感じるようになった。

夏が終わる頃、私は退職し、彼の収入だけでは二人暮しは無理になり、まだまだ出産費用を貯めるのとで、私の実家にお世話になることになった。

何となくギクシャクした母と彼との関係も変わることなく、同居生活が始まった。

彼も母も、お互い必要以上に気を遣い、その間で、私も神経を使う毎日だった。

また、些細なことでイライラする彼の癖も出始め、明け方には帰って来ていたのが、昼近くまで帰らないこともしばしばあった。

そして、私は気付いた。
2度目の浮気。
…ホントの所、2度目じゃなかった。
1度目の浮気以降、彼への不信感を拭えなかった私はこっそりケイタイを見ていた。
帰ってきた時間、メールの内容や電話などから、それまでにも怪しい女は何人かいたし、ケイタイを見るまでもなく、彼の言動などから分かっていた。


ある朝、いつもより遅い時間に帰って来た彼の服が汚れていた。
それは、さっきまで他の女といた、浮気の跡だった。
彼はシラを切り通した。
だけど、私には確信があった。

たまたま偶然に見た、「使っていいよ。」と言われていたデジカメに映っていた写真。
一緒に住んでた部屋のベッドに制服姿の知らない子が座ってた。

もう無理だと思った。
私は自分の実家に居ることもあり、強気に出た。

やっと認めた頃には彼は開き直っていた。
1度目の浮気と違ったのは、彼は全く別れるつもりはなかった。
今度もまた、「遊び」であり、自分が浮気したのは、私に女として不満があるからだと言った。

そして、また物が壊れた…。

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相談

そんな毎日が続く中、ある日、私は彼の言葉を振り切り、タクシーに駆け込んで思い切って実家に帰った。

妊娠してから初めて、私は彼との別れを考えた。
母に事情を話すと、モチロン母は怪訝な顔をした。
そして心配した。

夜中、彼から電話がかかってきた。
とらなければメールが入ってきた。

「帰ってこい!」
「イヤ。」
の繰り返し。
別れるつもりがあることを彼に伝えた。

初めての私からの別れ話に彼は慌てた。
浮気さえも許した私に対して、彼は今まで余裕があった。

とにかくすぐに帰って来いと、いつものように怒って言ってみたり、脅かしてみたり、落ち込んで泣きそうな声で言ってみたりしてた。

明け方までそんなやりとりが続き、別れるにしても、とにかく話し合わなきゃいけないと、一度部屋に帰ることにした。
母は心配して、車で送ってくれた。

部屋まで一緒に行くからと言った、何事も無いのを確認しないと帰れないと。
そんなことになったら余計に彼を怒らせてしまうからと、断る私に
「15分ここに居るから、部屋に上がって、もし何かされそうになったら電話を鳴らしなさい。すぐに上がって行くから。」

母の優しさが嬉しかったのと申し訳なかった。

部屋に上がると彼は寝ていた。
近づいた私に気付き起き上がると
「ごめん」と一言誤り、
いろんな話をした。

私は別れる覚悟で、今までの全ての感情を彼にぶつけた。
浮気のこと、それから後の言動、ケンカの時の暴れる癖、仕事のこと、それらを全てクリアして、快く母に祝福してもらえるようになりたかった事。最初からずっと不安だったこと。

彼は私の話を静かに聞いた。
そして約束した。
もう二度と暴れたりしないと。
夜の仕事も辞めると。
皆に認められるように努力すると。

そして、
「お前じゃないとダメだ。子供も産んで欲しいと思ってる」と優しく抱きしめた…。

私も、もう一度頑張ってみようと思った。

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前兆

それからは毎日、ホントに最悪だった。今思い出しても、良い事はなに一つ思い出せない。
お腹の赤ちゃんの成長以外に生きてることへの楽しさや喜びは感じられなかった。


私は、毎日夜中に彼の店まで呼ばれた。
そして、タバコの煙とお酒の中で明け方、彼の仕事が終わるまで待った。
時にはお腹が張って体調の悪い日もあった。
だけど、それを理由に帰ることは許されなかった。

彼がやってたスポーツの練習にも付き合った。
練習が終わるまで寒い体育館の中でずっと待っていた。

彼に従って、彼についていけば彼の機嫌は良かった。
そうすればケンカにもならなかった。
ケンカにさえならなければ、私もそれなりに楽しめることも多々あった。

ある日、些細な、ホントに些細なことでケンカになった。
その日、彼は酔っていた。

トイレから出て来た私は、ベッドで横になっている彼に近づいた。
突然彼の足が私の腰を蹴った。
ビックリした私は少しキツイ口調で言った。
「痛い!!何?!やめて!!」

彼は
「誤れ!」と言いながらもう一回蹴る。
何の事だか分からない私。

彼の怒った理由は私がトイレの水を2回流したことだった。
音を消すために1回、流すために1回。
「何でそんなことで?」怒る私に彼は更に怒った。

そのうち部屋中をひっくり返した。
大声で怒鳴りながら周りにある物を投げ、壁を殴る、蹴る。
部屋中がグチャグチャになった。
恐かった。ただ恐かった。そして、私は部屋を飛び出した。

外を歩く私に彼は大声で怒鳴り「戻って来い」と叫んだ。
私はあの部屋に帰る気になんてなれなかった。
帰れば今度は私が何をされるか分からない。そんな恐怖でいっぱいだった。
彼の声を振り切って歩く私に今度は電話が鳴った。
「そのまま実家に帰ったら、家に火をつける。もうしないから戻って来い。」

私は部屋に戻るしかなかった。
戻ってみると物が散乱し、ドアは凹み、携帯電話は二つに折れていた。
彼のそばに行くと
「寝ろよ。」
私は惨めさと悔しさの中で朝を待った。

朝になると冷静さを取り戻した彼が私に謝った。

この時も誰にも相談できなかった。

そして、それからは、何かあるたびに一つづつ物が壊れて行った。

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浮気

ある日の朝、仕事が終わって電話をかけてきた彼。
いつもと様子が違った。
「別れよ。」
私は冗談だと思った。
「何言ってんの??とりえず帰って来て。」
「俺、浮気したから。」

私はワケが分からなかった。
いっぱいケンカもしてきた。
だけど、それはお互いのすれ違いだったり、やきもちだったり、はがゆさだったり…。
上手くやりたいのにやれない、前向きなケンカだと思っていた。
「他の女と遊びたい」なんて言われてケンカもしたけど、実際のところ女の影を感じたことはなかった。

私は、過去の経験から女の影にだけは敏感だ。
女の直感とでも言うのか、すぐに分かってしまう。
彼に、それを感じたことはなかった。


彼が帰ってきた。
「ごめん。俺、浮気した。別れよう。」
私は一瞬でいろんなことを考えた。
お腹の赤ちゃんのこと、彼への自分の気持ち。彼は??その女に本気なのか、遊びなのか?遊びなら許すべきか、このまま別れるのか。。。

彼は好奇心だと言った。遊びで、ちょっとやってみたかっただけだった…と。
隠し通すつもりだったけど友達にバレ、どうせ私の耳に入るなら自分から言っておいたほうがマシだと思った、と言った。

出て行こうとする彼を引き止め、話し合った。
話し合いには2日かかり、結局、もとのサヤに収まった。
私は1度だけ浮気を許した。


そして、彼はその日を境に変わっていった。

…変わっていったと言うよりも、それまでの私が、ただ「好き」という感情だけで走っていて
彼の、ほんの上澄み部分しか見てなかっただけかもしれない。

今思えば、最初からそんな兆候はあったような気がする。

子供っぽいケンカ。些細なことで腹を立てたり、人が傷つく言葉を簡単に冗談半分で口にしたり、どれだけ話しても分かってくれないと思い諦めた仲直りも何度もあった。


1度目の浮気を許してから彼は、「その時」の話を堂々とするようになった。

相手は私も知っている子だった。モチロン相手も私が妊娠していることを知っていた。
高校生だった。
その子と会った数時間後に彼は私と待ち合わせをし、ご飯を食べてた。
ご飯を食べながら平気で、普通にその子の話をしてた。

まるで男友達に話すかのように、平気で、行為の内容まで話した。
時には私とその子を比べるような言い方をした。

1度は許した私の中で、彼への不信感と不安と嫌悪感の塊が少しづつ大きくなり始めていた。

親にも友達にも言えなかった。
自分の中の「女」というプライドと、何が何でも産むと、反対を押し切ってここまでやってきた事への意地と、淋しさと悲しさと、それに、まだ半分以上、彼への「好き」があったから。

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2007年9月 6日

育つ命

4ヶ月に入る頃、少しずつお腹が目立ってくるようになった。
朝、着替える前に鏡の前に立ってみる。
夜、お風呂に入る前に鏡の前に立ってみる。
お風呂の後、鏡の前に立ってみる。

ケンカをしながらも二人暮らしは続き、彼は日に日に大きくなるお腹を不思議そうに触って見たり、声をかけてみたり…。

1ヶ月に1回の検診。
超音波の写真も増えていく。
最初は小さな黒い点だった天使の卵も、コッペパンのような長い丸になり、頭と手足がはっきり分かるようになっていた。

超音波の映像をビデオに収めることができると聞き、テープは毎回忘れず持って行った。
ビデオには天使の卵と一緒に小さいながらも一生懸命生きる心臓の音が残されて行く。

育つ命の喜びを感じていた。
私の唯一の幸せの瞬間だった。




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悲しい日

毎日、毎日、心には暗雲が漂っている感じだった。
親とも上手くいかず、職場でも居場所はなく、そんな不安定な精神状態だからなのか、些細なことでケンカになり、彼とも上手く行かず…。

彼は彼で、バイトを辞めるとも言い出せず、親が快く賛成したのではないことを察して、ますます私の実家とは溝ができ。。。


そんなある日の朝のことだった。
突然の電話。
母からだった。
別居中の弟の嫁が亡くなった。
飲酒による交通事故だった。
なんと、その車には2歳の娘も乗っていたと言うのだ。
幸い子供は無傷で助かったが、嫁は即死。

別居していたとは言え、嫁は子供を連れてよく遊びに来ていた。
つい最近にも、実家に遊びに来ていた。
棺の中に横になってる嫁を見ても、まだ信じられなかった。

2歳の子供はママは寝ているんだと思っていた。



妊娠中は斎場へは行かない方が良いとの縁担ぎで、私はお通夜にだけ出席し、彼は、まだ籍も入ってない上に嫁とは面識が無かったとの理由で両方出なかった。
そのことが、更に彼をイラつかせたようだった。

お通夜から帰った私に彼が言った。

「お前も向こうに連れて逝かれたら。」

私はボーゼンとした。

死ぬことと生きること。
今まさに、私はその両方に直面していた。

自分のお腹の中の新しい命。
2歳という小さな命を残して逝ってしまった命。

「命」の尊さを実感する日々の中、彼からのその言葉は冷たく突き刺さった。

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母の心

彼の家は少し複雑な家庭だった。
父親は暴力をふるい、それが原因で両親は離婚。
兄と二人、母の下で育てられたが、兄もまた家庭内暴力があり、ある日、家を出て行ったっきり帰って来ないと聞いた。

新しいお父さんと彼はうまく行かず、彼は自分の実家には寄り付かなかった。
家を出た彼は祖母の家で暮らしたり、一人暮らしの彼女ができればその彼女の家で暮らしたり・・・を繰り返していた。

そして、彼の母親自身も両親の離婚により、後妻である義理の母に育てられていた。

つまり、彼は「義理」の中で育って来ていた。

彼のお母さんは、自分が再婚した相手と息子が上手くいかず、そのせいで家を出ている息子への申し訳なさから、彼の行動をあまり干渉する事は無かった。

私は、彼が「家族」の温かさをあまり知らない、淋しい人のように思えていた。

そんな彼の背景もあり、子供ができたことをきっかけに、彼自身にも、本当の家族、帰る場所を作ってあげたいと思っていた。


彼と彼の母が挨拶に来た時、母は彼の母に尋ねた。
「知ってると思いますが、家は母子家庭で育ててきました。離婚の原因はお金でした。お母さんは、どうして離婚なさったんですか?」

彼の母は答えた。
「家もお金のことが原因でした。」
彼の母は離婚の原因が暴力にあったことを隠した。

この時、それぞれの母にはそれぞれの思いがあった。

私の母は、「暴力」のある家庭は、それを見て育った子供も「暴力」に走りやすく、男の子の気性の荒さは父親にも似るところがある事を感じていた。
だから、暗に確認したのだった。

彼の母は、暴力が原因だったと本当の事を知れば反対されると思い隠した。

私は…知っていたけど、あえて言わなかった。
また反対される材料が増えるからだった。

こうして、暗い陰が見え隠れする中、少しずつ話は進んでいき、後は彼が夜の仕事を辞め、昼間の仕事に就く事が残された課題だった。

夜の仕事では、国保も社保もなかった。
バイトなので給料も少なく、何より時間がすれ違う。

彼の母は息子が「夜の仕事」をしていることにずっと反対だった。
結婚&子供。これが何よりのチャンスだと思っていた。


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2007年9月 5日

聞きたかった言葉

最初の報告から一ヶ月近く、家族との話し合いが続いた。
母とは何度もケンカになり、時には大声で、時には泣きながら。。。
親戚にも反対され、今までの私への評価がガラリと変わった。

もちろん職場にも私の居場所は無かった。
後輩達は私の妊娠の事実について、きちんとした説明をして欲しいと言ってきた。
家族との話が順調に進んでもいない中で、説明なんできるはずも無かった。
皆、私と目を合わすこともなく会話をする事もなく、それでもお客様を前にすれば笑顔をつくる日が続いた。

先輩の1人は「何で産むの?」と質問した。
「産みたいからです」としか言いようが無かった。

そして何より聞きたかった彼からのたった一つの言葉。
「産めよ」じゃなくて「産んで欲しい」の言葉。
その時の私にとって、この二つの言葉の差はとても大きいものだった。

孤独感と悔しさの中で毎日が過ぎていった。
それでも、私の気持ちは変わることなく、周りを説得することにエネルギーを注いだ。


そんなある日、改めて彼と彼の母親が家へ挨拶にきた。

母は彼に聞いた。
「ホントにこの子と結婚して良いの?娘はひとりでも産むと言ってる。あなたはまだ若い。やりたいこともあると思う。一時の感情や周りへの体裁で結婚を選んで後々ダメになるぐらいなら、今の思いに正直に、無理なら無理って言っていいのよ。」

「二人でやっていく」と彼は答えた。

母は彼に伝えた。
「家は離婚して母子家庭で子供を育ててきた。この子の弟も、早くに結婚したけど今は別居状態。娘には幸せな結婚をして欲しいと思ってきた。二人で貧乏しても苦労しても構わない。だけど助け合えなければ辛い。二人で居ながら淋しさを感じるぐらいなら最初から1人の方がマシなのよ。心の淋しい思いはさせないであげて欲しい。」

涙が出た。

「縁を切ってでも産む」なんて、母からすれば賛成せざるをえないような言葉で、半ば強引に押し切ったような形になった事が申し訳なかった。

それに、彼からの聞きたい一言が聞けない淋しさを見透かされているような気がした。

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報告

少なからず反対されることは分かっていた。
でも伝えなきゃ始まらない。
私の中には、この想いを分かって欲しいのと、分かってくれるだろうとの二つの、
期待にも似た感情が入り交ざっていた。

親に始まり、親友、職場へと報告。
「産む」決心を伝えた。

だけど私の幸せな気持ちとは裏腹に、その誰もが悲しい反応を見せた。

母は、過去のこともあり強い反対ではなかった。
だけど、彼のことを快く思ってなかった。
母から見れば、彼は家に寄りつかず、たまに顔を見てもよそよそしかったり、逆に軽い態度だったりするような所があった。
そして、何より私が借りたマンションに転がり込んでるような状態を見て、人として男として
認められなかったんだろう。
私は、家族と縁を切ってでも、子供を産むと伝えた。

職場は私の予想通り、そして6年前と同じ反応をした。
それでも、あれから6年の間に子供が出来て退職していく人も何人かいて、社長にも少しの変化があり、「私」という人材に対しての諦めムードが漂う中、話は退職へと進んでいった。

私より一足先に母になった親友には、妊娠の事実と母とのやりとり、「私は親と縁を切ってでも、1人でも産む覚悟がある」ことを伝えた。

この時、私は誰かに強く背中を押して欲しかった
それだけの覚悟があるならやれる!と。
頑張れ!と…。
私と同じ位置で、同じ目線で見てくれる誰かを探していた。
だけど、ここでも、反応は私の期待とは違っていた。

彼女は、私が思っていた以上に「母」になっていた。
私の口から出るマイナスな言葉に1人の母として、そして友達として答えてくれた。
それから「おめでとう」をくれた。
初めての、たった一人からの「おめでとう」だった。


私の中での「ひとりぼっち」が始まった。

思い描いていた幸せなはずのマタニティライフは淋しさとの闘いだった。

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4月26日

彼と二人で病院に行った。

尿検査と診察、超音波。

「オメデタです。まだ赤ちゃんの袋だけ。こんなに初期なのに、よく妊娠に気付いたね。彼にも見てもらう?」
「はい。」

看護婦さんに呼ばれた彼が診察室に入ってくると、先生が超音波の映像を見せた。
「ここに、小さな黒い点があるのが分かる?…。…。」

画面を見て説明が終わると、私だけ診察室に残り二つの説明をうけた。
「中絶」と「出産」について。
6年前と同じだ。だけど、今度はこう答えた。
「産みます。」

その瞬間、私の世界が変わった。
だって、「産む」選択と「産まない」選択では、その瞬間から進んでいく方向が全く違う。
先生は改めて「産む」という方向で説明をし始めた。
この時から私は「母」になった。
幸せな空気感。
6年前に来た時と同じ病院、同じ先生、同じ診察室。
なのに全然違う景色に見えた。


赤ちゃんが、まだ、あまりにも小さくて何週目かも判断できず、予定日も分からないので、2週間後にもう一度診察を受けることになった。


そして診察室を出るとき先生は一枚の紙をくれた。

私は初めて「超音波の写真」を手にした。
今まで感じたことの無い温かい気持ちになった。

帰りにガラス張りの新生児室を覗いた。
また温かい気持ちになった。

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2007年9月 4日

二人の答え

店に着くと第一声
「マジでできた??」
「病院行ってみないと、絶対ではないけど、ほぼ間違いないよ。」

私は次の言葉を待った。


職場から、彼の居る店まで約10分。
歩きながらいろんな反応を予想してた。
彼はまだ20歳。
6年前の私とその時の彼と同じ年の頃。
妊娠するかも。。。の思いは当然彼にもあっただろう。
だけど、それが現実になった今、彼の中でどんな答えが出てるんだろう。
また昔と同じ答えを聞くのだろうか…。

私は決めていた。
もしも彼が「産まない」選択をしたら彼とは別れて産む!…と。


「お前はどうしたい??」
「産みたい。」
「じゃあ、産めよ。」
「ほんとに??そんな簡単に決めて良いの??
私は良いけど、そっちはまだ20歳。生活だって今までのようにはいかない。
皆が思いっきり遊んだりしてる時に諦めないといけないことも一杯出てくるよ??」

そんなやり取りを何度繰り返しただろう。

私は何度も同じことを聞いた。
その度に彼は同じ答えを繰り返した。

こうして二人の答えは決まり、親には病院へ行ってちゃんと確認してから
話すことになった。

だけど、ホントはこの時から彼への不信感が芽生えていた。

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妊娠

1ヶ月後、6年前と同じ体調の変化にすぐに気付いた。
妊娠検査薬は生理予定日の2週間前後で調べられる。
だけど、そんなの待てなかった。
10日だけ待ち、仕事の合間に薬局へ行き、その足で
近くのデパートのトイレで結果を待った。

職場でなんて、とても調べられない。
もしも気付かれたときには大変なことになる。

結果が出るまでの数秒間がとても長く感じた。


数秒後、うっすらと線がで出た。
結果は【陽性】。


『ドクンッ。。。!』と胸が高鳴った。
ドキドキがどんどん早くなる・・・。

彼にメールをうつ。
『妊娠したみたい。』
『マジで?仕事が終わったら帰りに店に寄って。』

その1日は何食わぬ顔をして仕事をするのが大変だった。

色んな事を考えていた。

19歳のとき、一度は産むと決め、上司に報告したが、予想外の反応だった。
「ダメだ。諦めろ。・・・・。・・・・。」
社長は私に、まるで父親かと思うほど、延々と話しをした。
それは母も同じだった。
そして、その時の私は確かに自信が無かった。
それに、大人達の言ってることは、あの頃の私には確かに正しかった。

だけど、今度は違う。
私は確かにこの子を望んでいる。
そして、例えシングルマザーになったとしても産むと決めている。
それは、この子がお腹に宿る、もうずっと前からなんだ。

今の私なら、お金はなんとかなる。
この子への愛情も揺ぎ無い。
誰が何と言おうと、私は絶対に産む。絶っっ対にだ!
そんな二つの自信と決心に満ち溢れていた。

そんなことを考えながら仕事を終えた私は彼の居る店へ向った。

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2007年9月 3日

親友の出産

私の誕生日から3日後、10年来の親友がかわいい女の子を出産した。

私にとって初めての身近な赤ちゃんは弟の子供。
モチロンかわいい。だけど、少し苦しかった。
19歳で子供ができ、結婚した弟夫婦。

同じ19歳で妊娠した時、諦めた自分と子供を思っては苦しかった。悔しかった。
素直に「かわいい」と喜べない自分がどこかにいた。


だけど、今度は違った。
日に日にお腹が大きくなり、少しふっくらし、どんどん優しい表情になってく彼女が
羨ましかった。ホントに、ただ羨ましかった。

生まれてから赤ちゃんを見に行った。
彼女は、まだ首もすわらない生まれたてのあかちゃんを、私のヒザにひょいっとのせた。
しっかりした重みと温かさに、初めて、純粋に、ただ可愛いとだけ思った。

その頃から、心から子供が欲しいと思い始めた。
母親になりたい。自分の子供が欲しい。
その思いはだんだん強くなっていった。

それと同時に彼とは、それまでにない程良い空気が流れていた。

子供は・・・いつできてもおかしくない状態が続いた。

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2007年9月 1日

誕生日

一緒に暮らし始めて「時間のすれ違い」は解消した。
それでもやっぱり子供っぽい些細なことでケンカになる。

彼もまた、意地っ張りな私の態度に不信感を持ったり、嫉妬したりしていた。


それでも、今までの彼氏とは何かが違う。
なんで、こんなにケンカばっかりしてるんだろう。
合わないのかな。

そんな風に考えて落ち込んでた私。

彼と過ごす初めての私の誕生日。
気分は最悪。

「今日は店に飲みにおいで」と彼に言われ、仕事帰りに立ち寄った。
小一時間ほど経った頃1本の電話。
友達から誘われた。
「今日、誕生日だろ?少しだけ来ない?そこに迎えに行くから」
彼は「行っておいで」と。

迎えに来た友達から花をプレゼントされた。
「こっち」
付いて行くと、知り合いのバー。
中に入った瞬間、店にいたお客さん皆が立ち上がり、拍手をくれた。
「????」
「ここに座って」
見るとケーキが用意されていた。
お客さんだと思っていたのは、よく見ると私の友達ばかり。
職場の後輩たちが、私に内緒でサプライズ・パーティを用意してくれていたのだ。

どうやって集めたのかと思うようなメンバー。
職場の後輩たちと、私の大切な友人たち。
何の接点もないこの仲間達が、私を元気づけるためにと、
連絡を取り合い集まってくれてた。
嬉しくて涙が出た。最高の誕生日パーティーになった。

「ホントはミーの彼も誘ったけど・・・」
大体、私側の友達の輪に入りたがらない彼。分かっていたけど、また少し落ち込んだ。


パーティーが終わるころ、ちょうど仕事が終わった彼が迎えにきた。
別の店で二人飲みなおし。
パーティーに参加してくれなかった事に少し引っかかりはあったけど、
「性格だから仕方ない」と割り切り、二人で飲んでるうちに気分も晴れていった。

二人で住むマンションに帰り、彼なりの不器用なお祝い。
「ずっと一緒に居よう。」
その一言で、私の中で引っかかってたもの全部が解消された。
彼が言った。
「結婚したい。。。」


ケンカ続きだった二人の間に久しぶりの温かい空気が流れた。

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出会い

19歳での出来事の後も、たくさんの出会いはあり、
もちろん別れもあった。

24歳、冬。美容師の仕事を始めて7年目が来る頃、
職場で求められる事も多くなり、それなりに壁にぶつかってた。
仲の良い友達はチラホラ結婚し始めた。
私は…というと、職場の先輩で結婚してる人はなく、
まして、結婚して家庭を持ちながら仕事をする…なんて、
到底できない環境にいた。

ある日、先輩に誘われ連れて行ってもらったバー。
バイトに来ているという、4つ下の男の子。・・・第一印象最悪。
それでも、何回か行くうちに「最悪」から「悪くない」に変わり、
ある日、ご飯に誘われた。
そしてドライブに誘われ、メールと電話の回数が増え・・・。
『付き合って』と・・・・・。

何回も断った。
「ホントは彼女がいる」と人づてに聞いたし、
夜の仕事の男は軽いという、イメージもあった。
何より誰かと付き合うなんてめんどくさかった。

でも、後から思うと、多分、最初にご飯に誘われ一緒に行った時点で
私は彼に惹かれ始めていたんだろうな・・・。

それから少しして、彼に女の陰が無い事を充分に確認してから付き合い始めた。

彼との付き合いは最悪だった。
20歳と24歳。歳の分だけ考え方も違い、すれ違いも多い。
ケンカして腹が立っては途中で帰るの繰り返し。
大体は向こうが怒ってた。
「お互いが会いたい時、都合が合う時に会えばいいじゃん」的な
私のスタンスが気に入らなかったらしい。

私は心に線を引いていた。
子供を諦めた後に、死ぬほど好きな人ができた。
すごくすごく好きで、だけど苦しい恋愛だった。
もう二度とそんな苦しい思いをしたくなかったから。

だけど、そんな心の線もいつのまにか消えて、
『いつも一緒にいたい』と思うようになっていた。

彼と付き合い始めて4ヶ月後、私は初めて実家を離れ、一人暮らしを始めた。
それから、彼との同棲生活が始まった。

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2007年8月30日

19歳の選択。

19歳。
大好きだった彼が、高校卒業後、東京に行き、遠距離恋愛に。
まだまだ子供だった二人は『ずっと一緒に居たいから。』
そんな理由から、初めての妊娠。
計画的だった。

妊娠が分かった時は嬉しさ…もモチロンあった。
でも、それ以上に困惑した。

彼には夢があり、私は美容師になるため、社会人1年生。

でも産むつもりだった。
母に相談した。
母は言った。

『妊娠が分かった時の最初の感情は?
正直、困ったって思わなかった??
あかちゃんはね、望まれて生まれてこそ幸せになるの。
あなた達はマダ、経済的にも、精神的にも未熟だから困ったって思うんじゃない?
母親の貴女が困ってるのに、その赤ちゃんは幸せになれるの??
そんなんじゃ子供を幸せにはできない。今回は諦めたら?』

変に納得した自分がいた。
私にとって『あかちゃん』は彼と一緒に居るための手段だったんだ。
そして、彼もまた、『現実』の重さを思い知ったのか、『まだ夢は諦められない』と…。

その時、まだ赤ちゃんは「たいのう」と呼ばれる袋だった。
その病院は「中絶」の場合、超音波の写真はもらえない。
心が残ってしまうからだそうだ。

彼とは間もなく別れた。
夢を選んだ彼に不信感を持ったから。
でも、今にして思えば、その彼の態度と選択こそが「誠実」だった。
褒められる出来事ではなかったが、現実から逃げずに正面からぶつかってきた。
でも、そう思えるようになるのは、それから6年後のこと。


あの時の「選択」を後悔はしてない。
だけど、忘れることはない、忘れてはいけないと思ってる。
もっとちゃんとした母親のお腹に来てたら、予定日だった3月29日、
どこかに元気に生まれていたかもしれない命。

その事があってから私は、もう2度とバカなことは考えなかった。

もしも今度、子供ができたら必ず産むと決めた。
だからこそ、母親になる覚悟と経済がしっかり整い、母に言われた言葉の通り、
「何の迷いもなく、心から喜べる日が来るまで」きちんとしよう、と決めた。

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この子に逢うため・・・。

28歳。シングルマザー。

天使は2歳8ヶ月。
少し遅れたおしゃべりも、ずい分と達者になってきた。
保育園も来年からは年少サン。

卒園までに、必ず1度は聞かれるだろうと覚悟はしている。
『私のお父さんは?』
天使にとっては「素朴な疑問」。

うちの家族構成はちょっと変わってるかもしれない。
…いや、そう思ってるのは自分だけで、ホントは結構あるのかもしれない。
母と弟、弟の娘5歳、それに私と、私のかわいい天使2歳の5人家族。
血の繋がらない、いわゆる「義理」の居ない、身内ばかりの家族構成。

父と母は離婚。弟は20歳の若さで結婚したが、2年後に嫁が交通事故で他界。
私はと言うと、結婚もせず1人で子供を産んだ。

今日から始めたこのブログ。
別にフツーの育児日記。
でも、いつか天使に堂々と語れる自分であるために、いろんなことを残していこう。

私の【今まで】は全部、「この子に逢うため」に用意された【道】だった気がするから。

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